ファンタジーの世界もたまには
風邪でおとなしく寝ているのも4日目。
毎度治るのに時間がかかってうんざりする。
マリア様が見てるを何気なく観てると、温室で育つ花を愛でているような気分になる。
現実に有りうるかどうかはともかく、こんな世界でいちど暮らしてみたいとは思う。
欲望や戦争、貧困や差別、悲しいニュースや醜聞…日常に溢れるそんなものにうんざりしているのかも。
紛争地域で成長する子供のドキュメンタリーをみて、やるせない気持ちになる。
街は空爆で破壊され、地雷で父は片足を失った。
10歳とすこしの少年が迷彩と目出し帽で銃の訓練をする世界。
そんな世界に生きる子供や大人が「マリア様が見てる」をみたらどんな風に思うだろうか…
あり得ないかもしれないけど、尊いよね…なんて話せたらいいと思った。
探検について
小学生のある時期、近所の探検をよくした。
どこに続くのか分からない用水路を進んだり、家の塀に掴まって落ちずにどこまで移動できるか…
そんなことが当時は探検だった。
小さい頃からボールを使ったり、大勢で遊ぶことがそれほどなかった。
家の中で遊ぶことが多かったように思う。
外へ出てもなにをして遊んでいたのか、あまり覚えていない。
ただ、ふらふら散歩したり、走りまわったような気はする。
とにかく球を扱うスポーツ全般が下手で、観るのも興味がない。
振りかえってみると、その時々の自分にとって探検だと感じるものに心惹かれていたように思う。
インドア派にとっての探検…と言うのがしっくりくる。
山を登ったり、旅したり。
趣味がバラバラと思っていたけど、繋げてみると自分らしい。
この頃すこし、ひとり旅に新鮮さが感じられなくなってきた。
自分にとっての次の探検は何だろうか…
そんなことをふと考えた。
入院したときのこと
白い部屋でぼんやりと目が覚めていることに気がついた。
だるくて寒い。
冬でもないのに電気毛布を使う。
夜になって麻酔が切れると、ヘソの右下にある縫い目が痛みだす。
薬をいれてもらうとなんとか眠れた。
初めての食事は薄い重湯だったけど、身体にいれると痛かった。
痛みがくると分かっていて食べるのは気が進まなかった。
3日ほど何もせず消化にいい食事が続くとうんざりする。
同じ痛いなら食べて楽しいものがいい。
そんな風に思い出したころ退院が決まる。
通常より入院日数は短いけど、若いから大丈夫らしい。
退院したら食べたいものがいっぱいあった。
回復するにつれ食べられる喜びを噛みしめた。
そう記憶しているのだけど、退院後に何を食べたのか覚えていない。
それよりも病院で食べたものの方がよく覚えている。
薄い味付けで、細かく刻まれた鶏肉や野菜。
重湯から少しずつお粥に変わるごはん。
当たり前のように繰り返してることは薄れてしまう。
非日常は繰り返し思い出されることで残った。
病院の味気ない食事はいい思い出かもしれない。
食べられることの喜びをまた思い出すことができるから。
寝汗をかいたときに思い出すこと
気持ちわるくなって列車を降りた。
帰りの車内は混んでいて座ることができない。
人が吐き出す息と、肉の熱で熱気がこもっている。
そんな気がして不快感が増した。
乗り物酔いや二日酔いじゃない。
降りた駅のホームで座り込んでしまった。
不快感は消えず、ヘソの右下が鈍く痛む。
次の列車に乗り、駅から家に帰る頃には痛みが強くなってきた。
普通の腹痛じゃない。
病院に連絡して説明すると、朝まで待ってから来院することに。
朝までとにかく待つしかないらしい…
鈍く、でも確かに感じる痛みで眠れない。
仕方がないから、自分の症状から原因を調べる。
痛くて汗がにじむ。
時間がいつもよりゆっくり進む。
目覚めた鳥が鳴き出して、窓から光が差し込んでも不愉快な朝。
汗で汚れた体を起こして病院に向かう。
医師が軽く触診して診断する。
結果を聞いて思う。
「うん、わかってた」
とにかく痛みから解放さたい。
何でもいいから切ってほしい。
悪化寸前らしいので、すぐ手術することが決まる。
血液検査などの準備が始まる。
着替えてベッドに寝ると、そのまま手術室へ。
背中に刺された麻酔針に悶絶したあと、それ以上に痛いことはなかった。
透明なマスクを着けて10秒、数え切らないうちに意識は切断された。
昼間ベッドで横たわったとき思い出すこと
春休み、夜に眠れなくなった。
合格通知は届いていた。
新しい環境に不安はなかったと思う。
夜中、なにかに熱中していたわけでもない。
灯りを消して、目を閉じても眠れない。
寝なければいけない。
思うほど気持ちが刺々しくなる。
あたまの奥は鈍くて重い。
眼のまわりがだるい。
朝の光が射すようで忌々しい。
どうして眠れないのか分からない。
うまく伝えられない。
誰もわかってくれない。
せめて分かろうとしてくれればよかったのに。
昼間に少しだけ。
また夜は眠れない。
いちどおかしくなると、元通りにすることがこんな難しいなんて。
数日後に限界がきた。
ずっと寝て、気づけば夜眠れるようになった。
うまくいかなくてクヨクヨしていたことが、夢だったかのように感じた。
眠ることさえできれば、起きたら元気。
そんな頃の春休み。
小さい頃の世界
幼稚園に入る時期、父方の実家で祖父母と同居することになった。
祖父母、父母、弟、叔父の7人。
赤く錆びた門扉、集合写真みたいに並んだ盆栽、和室の壁に掛かっていた般若面。
家は古いにおいがして薄暗く、湿気が多かった。
梅雨の朝方は洗面所へいくと、大量のなめくじがスノコの上を這っていた。
家の裏手には雑草が伸び放題の土地に廃屋があった。
窓を開けているとカマキリやバッタ、ブイブイなんかが入ってきた。
近所の家が子犬を飼いはじめた。
飼い主同様にうるさい子犬は放し飼いされ、弟が噛まれた。
噛まれたことがなくて怖い気持ちが余計に膨らんだ。
近くの壁を素早く登ることが自然と身に付いた。
野良犬もいくらかいて、そのうち尻尾が2本あるのがいた。
白く長い毛が目を隠しているその犬は、他に比べてあんまり吠えなかったように思う。
2本目の尻尾は赤黒く、1本目の尻尾の下に生えていた。
白い犬を見かけなくなった。
特に気に留めることもなかったけど、あるとき思い出して大人に聞いてみた。
ずっと前に田んぼの脇で死んでいたらしい。
犬が横たわっていた場所を通り過ぎるとき、ふと思い出した。
見つかった時の様子を想像してみたことがある。
すこし、かわいそうな気がした。
はじめのほうの記憶
思い出せる範囲での、最も古い記憶…
ベッドを囲む柵で長方形に切り取られた天井。
そこに浮かぶプラスチックの花や星。
午後の光が明るい部屋で目が覚めた。
火照ったからだの熱でぼんやりした意識が、次第に冷めていって気づいた。
「あのひとがいない」
涙が出てきて、なんとなく寂しかったような気がする。
きっと声をあげて泣いていたんだと思う。
でもどんなふうだったか思い出せない。
そんな記憶。
生まれてからしばらくは集合住宅で育てられた。
近くに住んでいた子供で印象的な女の子がいる。
親指を立てて「めーっ!」と言うと、泣き出す。
あの子の父親か母親が怒るとき、そうしていたんだろうか…
他人を思いやることが分からず、面白がって「めーっ!」をやって、その子をよく泣かせていたような気がする。
集合住宅での記憶がもうひとつある。
刃物で切り裂かれた自転車のサドル。
あの頃、近所に心を病んだ中年女性がいたらしい。
夜になると包丁を持って、うろうろする。
本物を目にすることがなく、話を聞いても現実味がなかった。
絵本に出てくる意地悪な魔女。
別の世界の存在で、こっちには出てこないと思っていた。
ある日、母の自転車のサドルが「X」の形に切り裂かれた。
「あたまがへんなおばちゃん」は、やっぱり近くにいるらしい…
怖いとか危険だとか判断できなくて、漠然とそんなふうに感じていたように思う。
結局、実物を目にすることはなかった。
彼女の存在は、今でも輪郭が少しぼやけているような気がする。